背中美人を作る、屋久島と東京の二拠点セラピスト麻里です😊🌱
今回は私のことを知って頂きたいので、
・ざっくりとした経歴
・生い立ち
・性格や特徴
・好きなもの
・過去の意外な特技とエピソード
・学生時代のバイト経験
・恋愛のトラウマ
・過去のコンプレックス
について書きます!
★★★
在間麻里(ザイママリ)
1993年5月2日生まれ / 牡牛座 / A型 / 一人っ子
【ざっくりとした経歴】
16歳の時にエステティシャンになると決意。
高校卒業後、エステの専門学校に1年間通い
20歳〜24歳まで約5年間、都内のエステサロンで働く。
24歳で独立し、現在は八丁堀にて月に1週間限定のエステサロン美寿を運営中。
2018年7月〜11月は屋久島のSpa Kiokuと個人事業主として契約、二拠点セラピストになる。
【生い立ち】
千葉県市川市出身。生まれる前に姉がいたが1歳8ヶ月の時に病気で亡くなっており、長女・一人っ子として育つ。麻里の麻は姉の名前から取って名付けられた。両親からたっぷり愛情を注いでもらい、過保護なほど大切に育てられた。
▼珍しく撮った家族写真
【3度の転校】
父親の転勤で幼稚園、小学校、中学校と3度の転校を経験。内気で人見知りな性格だったため、新しい環境に馴染むのに毎度時間がかかり、転校は試練の連続だった。
友達や親戚から離れ、「知り合いがいない土地で人間関係の構築をすること」を繰り返し経験してきたので、対人スキルが身についた。
転校の経験から、気が合う友達がすぐそばにいることが、どれだけ幸せなことなのか身をもって実感し、逆に離れることになっても、縁がある人とは必ず再会できることも知った。
幼稚園〜小5までの7年間は兵庫県尼崎市で育ち、小5〜中2の多感な時期をタイ・バンコクで過ごす。海外生活が人生の大きな転機となる。
子どもの頃は外で遊ぶより、家の中で絵描きや読書、ネットサーフィンをして過ごすことが多かった。タイでは暇すぎてブロガーになり、FC2の総合ランキング10位まで上りつめたことがある。
同級生は個性的で明るく、頭が良くて魅力的な人が多かった。自分のことを、目立った特技や魅力がなく至って平凡な人間だと思っていたので、いつか「まりちゃんみたいになりたい」と言われる人になることが密かな夢だった。
【エステティシャンになった経緯】
中3で千葉に帰り、高校は私立に通った。付属の大学には行きたくなかったため高1の時に初めて将来を真剣に考えた。
中学のタイ生活でマッサージ師に興味を持ち、心理学や脳科学が好きで心理カウンセラーに興味を持ち、高校に入り美容を学ぶことにのめり込んでいたため、「マッサージ・心理学・美容すべてに関われるエステティシャンになろう」と決めた。
▼高2の頃の私 この頃はプリクラばかり撮っていた
エステティシャンになりたいと両親に打ち明けたところ最初は猛反対された。当時の担任の先生からも反対された。どうしてもなりたかったので、初めて両親に反抗して自分の意見を突き通し、喧嘩にもなりかけたが説得した。(今ではとても応援してくれている)
同じく高1の時、「将来は仕事も家庭も両立して、どちらも大切したい」と考えた。
両立のためには「早く結婚して、子供を育ててから仕事をする」もしくは「仕事を軌道に乗せてから家庭を持つ」のどちらか。結婚は相手とのタイミングが合わないとできないけれど、仕事は自分次第で行きたいところまで行けると思い、「まずは仕事」を選択。
いち早く現場で経験を積むために某大手エステ会社が運営する1年制の専門学校へ進学を目指す。
学費が高かったので、特待制度で入るために高2から猛勉強した。高1の頃、学年400人中200番台だったところから、高2以降は学年で20番を切るほど学力を上げた。
3年間の全科目テスト平均80点以上を獲得し、高校の推薦をもらって入試を受け、更に高得点を取り目標通り特待Aで合格して専門学校に入学。
もともと学生時代は決して勉強ができるほうではなかったが、この時は意地になって本気で勉強したおかげで、「きちんと結果を出す勉強の仕方」が身につき自信になった。
【18歳でエステの世界へ】
▼就活中の一枚 意気込みだけは昔から凄かった
専門学校では1年間で10個の資格を取得。エステのことだけでなく、心理学やネイル、介護、救急救命など幅広い知識を身につける。外部から一流講師が数多く来る学校だったため、一流に触れる経験をする。
▼卒業試験の写真
4月に専門学校に入学後、5月に理想のエステ会社と出会い、急な進路変更をした。6月には校内一早く内定が決まり、卒業後は大手ではなく中小エステ企業で働くことに。
その会社に惹かれた正直な理由は2つ。
1つは、会社説明会でマネジメントディレクターが「自分がお客様なら、絶対にこのサロンに通いたいと思う」と言った言葉が本物だと感じたこと。
そしてもう1つの理由は、大手だと既に拡大しきった後で縮小し始めているので店長クラスが余っているが、中小企業はこれから伸びるので、自分が早く店長や幹部候補なって活躍できる可能性が高いと考えていたから。
東京23区内の店舗で経験を積みたかったので、入社前に都内に引っ越し、一人暮らしを始めた。
【エステティシャンになる夢を叶える】
フェイシャル、ボディ、バストアップ、脱毛、メンズ、ブライダル、マタニティなど、トータルエステを提供する会社に19歳で入社し、希望通り 東京23区内のサロンに勤務。
入社後は仕事を最優先し、最初の5ヶ月間は誰より休日出勤・技術練習をして全メニューの技術を習得。最短で研修生からセラピスト&カウンセラーに昇格した。技術・知識試験ともに新卒の中で1位を取り、社内表彰式では新人賞を受賞。
▼入社2年目 店舗スタッフの集合写真
【早くも挫折】
仕事のストレスで皮膚病にかかり通院&薬漬け、精神が不安定になり睡眠薬を飲む、多くのお客様からクレームを受ける、遅刻常習犯で役職取り消し、職場の全信頼を失う、店内業務がまともにできなくなり店舗異動するなど、挫折を経験し心がへし折れた。
この辛い時期があったおかげで、頑張ってもうまくいかない人や、できない人の気持ちが分かるようになった。周りに沢山迷惑をかけてお世話になったので、自分も人を許すことを学んだ。
【快進撃】
辛い時期を乗り越え、21歳でチーフセラピスト、22歳でサブマネージャー&最年少副店長、23歳で最年少マネージャー&店長代理に昇格。24歳から店長会議に出席する。
▼24歳の誕生日
23歳で個人の月間総合&物販売上が全国1位になる。全国30店舗ある中で「中間売上最下位だった店舗」を「毎月安定して5位以内に入り、社長から理想的と言われる店舗」になるまで2番手として店長と共にお店を立て直し、店舗売上を伸ばした。
結果出しの技術、心理学を応用しお客様を惹きつけるカウンセリング、分かりやすい研修・指導を得意としていた。経営や営業についても熱心に学んでいたため、社長や幹部目線で店舗の売上戦略を立てるのもわりと得意だった。
店舗業務以外の活動として、社内の環境をより良くするために、「社長宛の意見BOX」を提案し設置。お客様へお渡しする資料を改善するべく、本社と連携して新しい資料のレイアウトなど監修を担当。他社のエステサロンにも積極的に通い、良いところは参考にして自社用にアレンジして活かした。
【温めてきた想いが爆発し、勢いで独立】
社内最年少幹部を目指して奮闘していたが、自分の将来やりたいことを改めて真剣に考え直し、尊敬する女性プロデューサーに独立を薦められたことが後押しとなり24歳で独立を決意。3ヶ月後に会社を辞めて独立。
▼独立直後の一枚
妊娠・出産を機に休職する個人サロンオーナーを紹介してもらい、ウィークリーサロンとしてお店を借りて月に1週間のエステサロン運営を始める。
お客様・同期・後輩には独立することを伝えずに退職したため、顧客ゼロ&貯金ゼロの状態で、集客はFacebookの友達限定記事でおこなった。
21歳の頃から仕事観に関するFacebookやブログ発信を続けていたため、応援してくれていた人たちがお客様として通ってくださるようになった。
仕事以外の時間は、会社員時代にできなかった活動期間にあてた。12日間のヴィパッサナー瞑想合宿、1ヶ月間のタイ古式マッサージ留学(チェンマイ)、バンコクの故郷へ2週間旅、パワーレメディ技術習得、関西へエステの勉強など。
チェンマイの自然豊かな場所でのマッサージがとても気に入り、日本でも同じような環境で施術ができたら最高だと考えていた。
そんな時に紹介で、屋久島のスパが二拠点セラピストを募集していると知り、応募。晴れて採用されることとなり、毎月屋久島と東京を行き来する二拠点生活を始めることとなった。
▼チェンマイCLSスクールの寮と校内敷地
▼7月から働くことになった屋久島のSpa Kioku
【性格・特徴】
幼少期は大人しくて真面目、家ではよく話すし笑うが、外では人見知りで自分を出せなかった。
転校先では「暗い」「存在感がない」と言われていた。大人になり人見知りはだいぶ克服したが、いまだに人や状況に応じて仮面をかぶってしまう癖がある。
▼生後8ヶ月の私
負けず嫌い。ゲームやスポーツなどは、自分が勝てるようになったり出来るようになるまで何度も挑む。自分で決めたことは、多少の辛いことがあっても最後までやり抜く粘り強さがある。
平和主義で争いごとは好まない。人と人の間に入って、周囲をまとめたり調整役になることが多い。責任感が強く、リーダーとして先頭に立つこともできるが、どちらかと言えば2番手としてリーダーの補佐や人のサポート、裏で動く方が得意。
自分と違う考えを知るのが好きなので、相手のことを何でも受け入れる姿勢を大切にしている。しかし、仕事のことなどで意見が合わず、どうしてもおかしいと思った時は、相手の年齢や立場は気にせず意見をはっきり言う。
尊敬できない人に指図されるのが嫌いで、自分が納得できないと、言うことをきかず頑固になることがある。どうしても意見が合わない人とは極力関わらないか、関わらないといけない時は、代案を考えて述べるようにしている。
探究心と好奇心の塊。好きな物事にはとことんのめり込み、集中力がある。そのかわり、意識しないと周りが見えなくなる傾向がある。
間違った方向へ突っ走ってしまわないように、内省の時間を取って客観的に自分を見つめたり、軌道修正をしてくれる師匠へ定期的に会いに行くようにしている。
▼前世が親子か姉妹だったのでは?縁が深い師匠と私
飽き性で、ハマらないものはすぐ辞める。習い事や部活などは、水泳・バスケ・テニス・バレーボール・タイダンス・ヒップホップやジャズダンス・習字・生け花・英会話・フランス語・中国語など数多くチャレンジするが、どれも続かなかった。唯一ピアノは10年習っていた。
人の話を素直に聞き、思い立ったらすぐ行動する。人や場の影響を受けやすい。
人に喜んでもらうことが好きで、特に好きな人には尽くすタイプ。仕事面など普段はしっかりしてると言われるが、彼氏の前だととことん甘える二面性がある。
束縛が苦手で自分の判断で動きたいため、むやみに人と群れることがあまり好きではなく、迷ったら単独行動を選ぶことが多い。
普段真面目なわりに、気分屋で、たまに突拍子もないことを言い出したり行動に移したりする。冒険心があり、決まった未来を進むより、この先どうなるか予測できない未来を選ぶほうが好き。
【好きなもの】
いちごやフルーツ全般。タイ料理などスパイシーな食べ物。優しさが沁み渡る和食。お酒とおつまみ。寒い日のアイス。
▼また行きたいスカイベリー狩り
カラフルなもの、自然、新緑、花、心を豊かにしてくれるもの。
ダンス、歌うこと、音楽、楽器、リズムを刻むもの。
読書。映画鑑賞。芸術的なもの。変な物や人。
▼人生で一番衝撃だった映画『アンダーグラウンド』
お祭りごと。静かなところで、ゆったりほのぼのとする時間。
女同士のおしゃべり。料理とお菓子作り。
活字が好きで文章フェチ。声フェチ。
好きな人と一緒にいる時間や一緒に食べるご飯。
人を喜ばせるために工夫すること。
【過去の意外な特技とエピソード】
小5の時、和太鼓のオーディションでメインポジションに受かり、学校行事やアンサンブルコンテストで和太鼓チームの中心で叩いていた。
中学で創作ダンスの振付を考えるのが得意だった。中3の時に体育の授業で考えた、細胞分裂をテーマにした創作ダンスは完成度が高く、市の発表会で披露するところまでいった。
高校の頃は野球応援のチアガールで副リーダーと、高校有志のダンス部20人をまとめる代表をしていた経験あり。
▼当時高校3年生のチアガール
▼ダンス部 高3女子チーム
30分のステージパフォーマンスを1から作り上げるため、全くの素人ながら、曲の編集・振付&振付指導・ポジショニングをしていた。バンドの臨時キーボードも担当。クラスTシャツのデザインで適当に描いたものが投票で選ばれたことがある。
【学生時代のバイト経験】
▼当時の制服
マクドナルドとパン工場でバイトをしていた。接客は苦手で、ハキハキと話せず、ケアレスミスが多くてポンコツだった。昇格するのに人並み以上に時間がかかった。マックは、バイト先の人がとても親切で良い人たちだったので、向いてないと思いながらも3年間続けた。
工場で長時間も淡々と同じ作業をし続けるのはもっと向いてなくて、「もう死んでもやりたくない」と思っている。工場勤務を経験してから、「接客が楽しい」と感じるようになった。
【恋愛のトラウマ】
私は自他ともに認めるほど恋多き女。人に興味があり素直な性格なため、昔からすぐ人を好きになる。
▼好きな人と公園へ行った時の写真
過去3度、大きな失恋を経験している。3度目は20歳の時で、振られたショックが大きすぎて、別れたあと半年間は生活がかなり乱れてしまった。今も若干トラウマになっている。
一番の恐怖は「好きな人に拒絶されること」なので、それ以降は人に興味を持つことがあっても、自分を守るためにあまり深入りしすぎないように心がけている。
今は自分で自分を大切にするために訓練中。
【過去のコンプレックス】
幼い頃からアトピー・アレルギー体質で、20歳頃まで皮膚科通いが長かった。中学以降は思春期のホルモンバランスや花粉アレルギー・ストレスなどが原因で、ひどいニキビや目元・口元の肌荒れ(赤く腫れたり、ただれる)が続いた。
奥二重で目つきが悪く、先輩に睨んでいると勘違いをされて学校の裏掲示板に悪口を書かれたことがある。
毒素の排出力が弱かった(汗も全然かけなかった)ため、足や顔がむくみやすく、太くて丸い自分の体が嫌で、「こんな見た目いやだ!!」と母親の前で大泣きしたことがある。
自分を変えたくて、中3からダイエットに目覚めた。食事制限・週末10キロのジョギング・チア練習後にジム通い・自宅でビリーズブートキャンプなど、ストイックに励んだ。
肌ケアは、高校生の頃からプロアクティブや高級化粧品にチャレンジしたり、皮膚科の薬・エステのパック・良いと言われる化粧品があれば試し、同時進行で睡眠や食事など生活改善できるところは努力をした。
肌荒れのピークは専門学生&社会人1年目。
仕事のストレスで顔と手が皮膚病になり、1ヶ月間まともに仕事ができなかった時期がある。入社当初は上司に「技術の習得よりも先にその肌をなんとかしないとね」と言われていた。
▼ひどい手荒れ
メイクを禁止されるほど肌が荒れて眼帯・指先の液体窒素治療・手袋3重生活をした。ちなみに新人の頃はトイレに行かなすぎて膀胱炎にもなった。
いろいろな経験と努力を経て、体質・肌質ともに自分で実感できるほど変わったのは、エステティシャンになって1年以上経ってから。
▼メイクをしてもこの状態だった Before/After
奥二重はアイプチやメイクでカバーしていたが、目元は特に肌が弱く不安定だったため、20歳の時に二重整形をした。
1度も気づかれたことがないので、ほとんどの人は今初めて知ったと思う。20歳以降に付き合った彼氏も全員このことを知らない。黙っててごめんなさい。
自分の見た目や体質について、本当にひどく長年悩んできたことを乗り越えてきたので、お客様からは「説得力がある」「信頼できる」「相談しやすい」とよく言って頂けるようになった。
見た目が変わってから、周りの反応が面白いほど本当によく変わった。人から「可愛い」「肌が綺麗」と言ってもらえることが劇的に増え、男性からは稀だけど「顔がタイプ」「すっぴんが好き」とまで言われるようになった。昔の自分が知ったら泣いて喜ぶと思う。
これだけコンプレックスの塊だったので、女性が抱える悩みや、辛い気持ちの大半は手に取るようによく理解できる。
私は特別可愛いわけでも、美人なわけでも、スタイルが良いわけでもないので、親しみやすい存在なのは良かったと思っている。
目の前の女性を輝かせ、自分自身も輝けるエステティシャンという職業は、私にとって本当に天職だと感じている。
▼幼少期の私
▼エステティシャンになる前の私
▼現在エステティシャン6年目、25歳の私
★★★
ここまでお読み頂き、ありがとうございます!
今の私からは想像がつかないような、意外な一面が多かったのではないでしょうか?
私は過去の自分もこれから先のことも、ありのままをさらけ出して人と接していきたいと考えたので、良かったことだけではなく辛かったこと・トラウマ・コンプレックスまで全て書きました!
これほど自分のことをさらけ出したのは初めてです。
気になることは直接聞いてくださいね👍
何時間もかけてこの記事を書いて、自分の人生と向き合い続けるうちに、「今の私は生かされている」と思いました。
何度心が折れても、辛かった過去を乗り越えて夢を叶え、現在自分が生きたい人生を歩めているということは、これから先も自分がやりたいこと、できることを全うして沢山の夢を叶えていく使命があるのではないかと感じます。
私はエステティシャンとしてだけでなく、一人の女性として、自分の人生を通してもっともっと沢山の人に勇気や夢を与えられる存在でありたいし、周りの人を幸せにする大きな影響力を身につけたいです。
これからも色々な活動するので、応援してくださると嬉しいです✨
本当にいつもありがとうございます!