【東京/八丁堀駅から徒歩6分】背中美人を作るエステサロン美寿Bijou.のブログ

毎月10日間限定の個人エステサロン。オーナーセラピスト・美姿勢ダイエットコーチの在間麻里のブログです。

My story⑤肌ボロボロの暗黒期

背中美人を作るエステサロン美寿オーナーセラピスト
美姿勢ダイエットコーチ準備中の麻里です!

今回はMy story『夢を叶えるエステティシャン』
第5話、ストレスでお肌がボロボロだった時期のお話です。


▼最初から読みたい方はこちらへ

▼前回のお話はこちら!

エステの道へ進むものの肌荒れ悪化

強い意志を持ってエステの道へ進んだものの、私のエステ人生のスタートは決して順風満帆ではありませんでした。


▼希望でいっぱいの入学式


▼登校初日


第3話アトピーで悩んでいたことを書きましたが、その後エステの専門学校に進むと、ハードなスケジュールで肌荒れが悪化・・😵


当時を振り返ると、平日は朝から夕方まで授業があり、週1で小テスト・月1で資格試験(年間10個の資格取得)というスケジュールで、学校でも家に帰ってからも勉強漬けでした✍🏻


身だしなみや立ち振る舞いの指導も厳しい学校に入学したので、学校生活は刺激的で楽しかったものの、慣れないことに毎日取り組むことで精神的なストレスと睡眠不足が日常に。


加えて、フェイシャル実技の授業では洗顔だけで1時間練習したりするので、モデル役のお肌への負担が大きい。その期間1ヶ月。

生徒同士でペアを組み、技術者とモデル役を交互に実技の練習をするのですが、敏感肌の私は長時間の練習に肌が耐えられず、メイクができなくなるくらい荒れてしまい、一時期は眼帯をして生活していました🤕


今振り返ると、あの頃はまだ自分の体質についてよく分かっておらず、自分の身体との付き合いがうまくできていなかったと思います。自分の身体のことは後回しにして、ただただ目の前のことに取り組むのに必死な生活を送っていました🌀

アレルギー検査で数々の項目に引っかかる

専門学生の頃は結果的に週1ペースで皮膚科に通っており、1日の授業を終えたあとに病院の待合室で1時間も2時間も待つ日があって「私はなにやってるんだろう?」と思ったこともありました。


このタイミングで初めてアレルギー検査をしたのですが、さまざまな野菜・花粉・ハウスダストなど日常で避けるのは難しいと感じるくらい多項目で引っかかり、検査結果を見て泣きながら母に電話したのをよく覚えています。


どんなに肌荒れが悪化しても授業は1日も休まず、メイク必須の学校に特別許可をもらってすっぴんで通う日もありました。


肌のことは常に悩んでいましたが、学校生活はとても楽しく充実していました😊
ご縁があって、同期のなかで1番に就職先の内定が決まり、卒業式では生徒代表挨拶をさせていただくこともできました✨


でも・・・

「私、本当にエステティシャンになれるのかな?」

誰よりも努力を重ねている自負があったけれど、身体が全然ついてこなくて、野心をメラメラさせている裏側では不安でいっぱいでした。

エステ会社に入社後もっと肌荒れ悪化

こうして振り返ると、よくそんなにボロボロになってまで続けられたなと思うんですが、

専門学校を無事に卒業後、エステの会社に入社するともっとハードな毎日が待っており、仕事のストレスと不規則な生活で肌荒れはさらに悪化していきました。


上司から「在間はまず技術よりも、その肌をなんとかしないとね」と言われたことが強烈な印象に残っています。


入社1年目の秋には、もはや肌荒れやアトピーという枠を超えて、皮膚病の域に達していました。

朝起きると、顔や手に水疱ができているんです。
痛いニキビのようなもの。そして痒くて痛い。


▼当時の写真を貼りますが閲覧注意です
















▼1番ひどい時の写真はなくて、少し良くなってきた頃の写真です




この頃は仕事もプライベートも思うようにいかず、毎日ストレス過多な生活を送っていました。それでも私には目指したい理想像があったので、この時点で仕事をやめようと思ったことは1度もありませんでした😌今考えると不思議で、自分でもよくあの状況を乗り越えたなと思います。


言葉通りお肌がボロボロだったので、素肌でお客様に触れることができず、当時は薬を塗る必要もあったため手袋を3重に重ねて脱毛などの機械施術やカウンセリングのみお客様を担当していました。


右手の小指は液体窒素による治療もおこない、その後はしばらく少し触れるだけで痛かったので、タオルをたたんだり掃除など簡単な雑用のためだけに出勤していた時期もありました。今思うと、そんな状況でも仕事を与えてくれた上司や見守ってくれた先輩方に感謝です🥲

人は変われる!


10年のエステ人生を振り返ると、この頃が1番精神的にも肉体的にも辛かった時期なのですが、それでも当時は当時の自分なりに楽しんでいたと思います。


▼初めての社員旅行で行ったセブ島
ジンベエザメと泳ぎました🦈


セブ島に行く直前まで「この肌の状態で海には入らないで」とドクターストップが出ていたのですが、何ヶ月も前からジンベエザメとのダイビングを楽しみにしていた私は諦めきれず、病院を変えて強い薬を出してもらい、海に入れるまで急激に回復。


一時期は塗り薬だけでなく、飲み薬のステロイド剤や、睡眠薬も服用していました。(当時まだ20歳🥲)


私のアトピーやアレルギー体質は父譲りなので、苦しむ私の姿を見た父から「俺のせいでごめんな」とメールをもらった時は泣きました。両親も、なんとかしてあげたい気持ちはあっても、どうしたらいいか分からなくて辛かったと思います。


けれど不思議なことに、それまでずっと薬に頼っていた私が、セブ島での旅行中は(独断で…)飲み薬も塗り薬も一切なしの生活をしたにも関わらず、5日間でみるみるうちに肌の状態が回復。よほど楽しくて、ストレスフリーで、全細胞が活性化したのでしょうね・・😂


▼すごく楽しそう!


食事を気をつけても、たくさん寝ても、全然よくならなかった肌が、セブ島ではお酒もお菓子もカップラーメンも食べていたし、夜更かしして不規則な生活だったけれど調子がよくて、心と身体の繋がりを痛感した出来事として私の記憶に強く残っています。


帰国後はまた肌状態がぶり返しましたが、その後ゆるやかに回復して、数々の肌ケアにトライし、肌状態が落ち着くようになったのは入社してから1年〜1年半が過ぎた頃でした。


ちなみに今でも肌が弱いのは変わらないので、半年に1回くらい皮膚科にお薬をもらいに行ったり、こまめにケアするようにしています。それでも、今では「お肌がきれい!アトピー体質には見えない!」とたくさんの方に言っていただけるようになりました。



ニキビもほぼできなくなり、できたとしても2〜3日あれば回復するくらい、肌状態は安定しています。


「肌が弱い」という事実は変えられないけれど、痒みや炎症などの症状がでないようにうまく付き合っていくことはできるというのが実体験を通した大きな学びです。


昔は鏡を見ては「またひどくなってる・・」と自分の姿を受け入れられず落ち込んでいた私が、今では鏡を見て「いいじゃん!」と思えるようになりました。


お肌の悩みや、体質的なお悩みがある方の気持ちが痛いくらい分かるので、「あきらめないで」と伝えたいし、寄り添って具体的にサポートできる自分でありたいという気持ちは今もずっと変わらないです。



今回のお話はここまで。
読んでくれてありがとうございます。

次回はエステ会社で店長代理まで昇進し、
24歳で独立した時のお話です😊

👇🏻こちら




New◼︎エステサロン美寿の予約サイト
こちらからWeb予約が可能になりました◎
👉🏻https://reserva.be/bijouzaima


◼︎ご予約状況はこちらをチェック◎🦒


◼︎ホームページ
👉🏻背中美人を作るエステサロン美寿Bijou.


◼︎エステサロン美寿の公式LINEアカウント


◼︎お得な回数券のご案内はこちら✨


◼︎大切な方へエステと癒しの時間をプレゼント。ギフトチケットのご購入はこちら💝