【東京/八丁堀駅から徒歩6分】背中美人を作るエステサロン美寿Bijou.のブログ

毎月10日間限定の個人エステサロン。オーナーセラピスト・美姿勢ダイエットコーチの在間麻里のブログです。

My story②3度の転校。転機となったタイ・バンコクでの生活

背中美人を作るエステサロン美寿オーナーセラピスト
美姿勢ダイエットコーチ準備中の麻里です😊

今回はMy story『夢を叶えるエステティシャン』
第2話。小中学生のお話です!


▼最初から読みたい方はこちらへ💁🏻‍♀️


▼前回のお話はこちらです!


▼小学校の卒業旅行で撮った写真(タイ・チェンマイ)


父のお仕事で、子供の頃に3度の転校を経験しました。
4歳・幼稚園年中さんの時、千葉から兵庫県尼崎市へ。
11歳・小5のおわりに兵庫からタイの首都バンコクへ。
14歳・中3でタイから千葉県市川市に戻ってきました。


幼稚園、小学校、中学校をそれぞれ2校ずつ経験しています。

なかでも子供ながらに強く衝撃を受けたのはタイ・バンコクでの学校生活でした🇹🇭


特殊な環境

まずその学校の環境。私は当時世界で一番大きな日本人学校に入学しました。中合わせて生徒が2000人近くいるマンモス校(今はもっと多いみたい!)生徒の学力も授業レベルも、日本より高く感じました・・!


日本と同じ科目のほかに、
・年間通して水泳の授業が週に2時間あった
(しかも野外50mプール&現地の水泳コーチがいる)
・英語とは別で英会話の授業があった
(英会話の教科書は全部英語で、日本語が話せないネイティブの先生なので、何を言っているか分からないこともしばしば。リスニングだけは得意になりました)
・タイ人の先生によるタイ語の授業があった
(中学からはタイ語の授業だけ、成績に応じてレベル別クラスに分かれてた。私はクラスの半分がタイ人ハーフの生徒が占めるようなAクラスにいました)

など、南国タイならではの授業があったことがすごく印象に残っています。今思い返すと貴重な経験!


※ちなみに私は、学校の授業のほかに、ピアノやタイダンスを習い、バレーボールサークルや塾にも通っていました!


タイの日本人学校にいる子供たちは、あくまで私の感覚ですが日本全国(世界各国)から目立つ子や問題児やリーダー格・・とにかく個性豊かな子たちが大集合😳⚡️そしてその生徒たち約2000人の大半が転校生という特殊な環境でした。


▼中学の修学旅行(タイ・チェンマイ)

クッション役の日々

タイでは子供だけの遊び場が少なかったこと、当時は日本のテレビがNHKしか見れなかったこと、そして日本語しか話せない私たちは狭い日本人コミュニティの中でしか人間関係を築けない環境だったことから、学校内の人間関係がとっっても濃かったんです。

何度も学校内で問題になって集会が開かれたり、クラス全員で話し合いになった記憶があります。私は争いごとをなるべく避けたいので、人と人との間に入るクッション役になることが多かったです。そんな環境下にいたので、私の対人能力はこの頃に自然と鍛えられたのではないかと分析しています・・!


大変なことは書き切れないほどたくさんあったし、転校ばかりで(周りのお友達も転校するし)、人との別れを何度も経験して悲しさもあったけれど、

小5〜中2の3年3ヶ月、多感な時期に海外生活を体験したことで、比較的早い段階で異文化に触れた経験や、いろんなタイプのお友達と出会えたことは、この上ない私の宝物となりました。


タイに連れて行ってくれた父にとても感謝しています。

友達と過ごした楽しい時間や、家族との思い出がたくさんあるので、タイは今でも特別で大好きな場所です🇹🇭


▼家から徒歩圏内の大きな公園。夏休みはここのバスケットコートで友達とよく遊びました🏀


▼タイで乗っていたスクールバス。このバスが学校に100台近くありました。とんでもない数!(今は150台あるらしい!?)


兵庫とタイの共通点

実は、タイに行く前に住んでいた兵庫県もなかなか面白い地域でした。お笑い芸人ダウンタウンのまっちゃん・浜ちゃんが生まれ育ったと言われる尼崎市ここにも気が強くて個性豊かな子供たちが大勢いました。私はあのまま尼崎で大人になっていたら、今とは全然違う人間になっていたんじゃないかと思っています😂

※小学生までは関西にいた時間が一番長かったので、私は今でも関西人が大好きです。関西弁の人と話すと関西弁がうつります。笑


タイと尼崎の共通点としては、自分の意思をしっかり持って、意見をハッキリ言う子供が周りに多かったです。そして私は学校の先生に恵まれていたなと思います。(道徳・倫理の感性を養えたのは子供の頃に関わってくれた先生方のおかげだと思う)


平凡な自分のコンプレックス

私が幼い頃にいろんな人と関わりをもって感じたことは、「自分はなんて平凡な人間なんだろう」でした。特にこれといった特徴も、特技もない。影が薄く、おとなしく、まじめで、人の記憶に残らない人間。周りに強烈な子が多かっただけに、当時の私は自分をそう評価していました。


そんな自分が特別嫌いというわけではなかったけれど、個性が輝く友達のことが羨ましかったし、もっと自由に自分を表現した方が人生楽しそうだと肌で感じていました。小学校6年生の時、"いつか「まりちゃんみたいになりたい」と言われるような人になりたい"掲示物に書いた記憶があります。子供の頃の私の願い。




マッサージとの出会い

長くなってしまいましたが・・最後に特筆すべきこと。
タイに住んでいた時、家の周りにはマッサージ店がたくさん並んでいて、親戚が遊びに来た時は、私も一緒にスパに連れて行ってもらえる機会がありました。


綺麗な店内。優雅なセラピスト。
フットマッサージをするお姉さんの後ろ姿を眺めながら、「マッサージのお仕事っていいな」と初めて思ったことをよく覚えています。たしか中学2年生の時でした。のちのエステのお仕事に繋がる最初のきっかけです。


また、中学の修学旅行のとき、友達の肩揉みをしていたら「まりはマッサージが上手だから、将来マッサージ師になれるね」と友達が言ってくれたことがありました。私は、友達の肩が目の前にあると肩を揉みたくなるような子供だったんです。


純粋にマッサージが好きだったのだと思います。人に喜んでもらえることが好きだから、人にマッサージするのが好き。ちなみにマッサージされるのも好きです。



★内気な性格だった私は、3度の転校をきっかけに、嫌でも初対面の人との交流を強いられ、そこでコミュニケーションの経験を積むことになりました。

幼い頃に環境の違うさまざまな土地で暮らし、多くの人と関わった経験が、のちの人生に大きく影響したと実感しています。


友達の多くは転校で離れ離れになってしまいましたが、遠く離れても、SNSが発展したおかげで、大人になった今でも繋がっている人はたくさんいます!(大人になっても仲良くしてくれる人、大好き。ありがとう)


大人になり接客業でどんなタイプのお客様にも話題を合わせられるようになったのも、過去に多くの人と接してきたことや、さまざまな土地で暮らした経験が役に立っていると思います😊



★次はエステティシャンになりたいと初めて明確な目標ができた、高校生の頃のお話です!


▼第3話に続きます!



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